”清水屋旅館”名前の由来

 昔、耻風村と言われていた地区の清水が沸く場所に先祖が住みつきました。時が過ぎ、地区の名前は合併や統合が進み大川村→伊南村と名前を変えていきましたが、当初から清水のある場所に住んでいることから”清水屋”と言われ、すぐお隣にはその清水が泉のようになった場所に住んでいた方は”泉屋”だったと聞かされました。

 耻風村の時代に火災になり全焼し、現在宿が立っている場所は、約1.5km程下流の場所にありますが、本家とは別に交通の要所となる三叉路の近くに別宅として建てられたそうです。その当時から群馬の沼田へ通じる上州口(上州へ通じる道の最寄地)・新潟・栃木・会津を結ぶ要の場所として行商の方などが”お休み処”として休憩利用されたことが旅館業の始まりです。1945年(昭和20年)の終戦後、正式に宿泊業許可を申請し”清水屋”をそのまま屋号として清水屋旅館が生まれました。

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”耻風(はじかぜ)” 名前の由来

 所説あると思われますが、一番面白く上手く出来ている言い伝えによると...

 標高約千メートルの鬼丸山のふもと舘岩川のせせらぎが聞こえる場所に耻風があります。

 この地を治めていた河原田氏と攻め込んできた伊達政宗の軍隊との戦いに、戦う意思の無い住民たちは、作物がアワやヒエなどしか出来ず貧しい生活を送っていたため降参の意思を告げる旗をたてるにもきれいな白旗が無いので、話し合いの果てに、女性の着物や腰巻を旗の代わりに用いることを思いついきました。

伊達の軍勢が近づいて来ると、女性たちは自分の身に着けていた着物などを鬼丸山の頂上近くの木々に掛けました。即席の旗は風になびきながら伊達の軍勢に降参の合図を送ったことになり難を逃れることが出来たといいます。

 ただ、その後住民の間では、この出来事は恥ずかしいことであるので他人には話さないよう「耳に止めおき」風の噂にならないように誓い合いこの地名が付いたということです。